2008年11月16日

after life care

当たり前だが、テンポとは常に一定とは限らない。
60から70くらいのBPMだった曲が、突如としてBPM140くらいに変わることだってある。

大阪から実家に帰りそして今電子機器に囲まれて、報告と整理と考察を兼ねて少々散文的乱文気味であるがその後の話をしよう。

そもそも、封印しようと思っていたのだがあらかたの人間に伝え終わったので最早時間の問題と考え先制しておく。


ウルトラマンのファスナーは的確に隠されているんだよ。


大阪から実家に戻り、だらだらと日々を過ごしていたら愛犬が電車に日の丸神風特攻隊よろしく単身突撃し、奇しくもこの世を去ってしまった。犬が基準となっていた我が家は太陽が雲に覆われ光を失う。7日間ほどの漆黒の後、夜は明けた。

矛先は愛犬から実子へ。

いい加減いい加減なことをやめてしっかりしろと久しぶりにお天道様に言われ就職活動を再開したのが9月の末。
家から30秒の酒造で働かされそうになる。鉄壁の防御により拒否。数社の面接を取り付けいざ帝都へと向かった10月初頭。
そこでこの物語の重大な事件が起きる。


先天的か後天的か分からないが入れているものが同じと言うことは同じものを出しているんだよ。


その日私はある企業へ行くために友人宅のある中野から神田方面へ行く予定だった。
鏡を前にして外出の準備をしている最中ふと、鏡に映った自分が自分ではない錯覚に陥った。
「お前はいったい誰なんだ?」

メンヘラの痛い記事だと自覚はしているが、あくまでも事実だ。
とりあえず私は書き続ける。だが、あなたに読み続ける義務はない。

錯覚である。まぎれもなく鏡には自分が映っていた。
時間が差し迫っていたので急いで支度をし中野駅を目指した。
歩いている最中視界がいきなり落ち、体がガクンとと重力に引っ張られ始めた。
気持ちが悪くなり、パチンコ屋のトイレで吐いたが何も出ない。騒音が一層吐き気を催す。
昼食を摂っていなかったのでそのせいかと思い今川焼チーズクリーム味を食べる。
喫煙所で煙草を吸おうとするも明らかに体調がおかしいので煙草を吸わずに駅を目指す。
そして、切符を買い電車に乗ったが、あまりの息苦しさに新宿で途中下車してしまった。
どんどん、呼吸が出来にくくなり鼓動が早くなっていくのが分かる。
駅のインフォーメーションでどこか休むことの出来る場所は無いかと聞くも、医者はいないからあまりにも体調が悪いのなら病院に行けと言われ、新宿駅南口側の病院を教えてもらう。

5分が30分に感じたわけだが、今思えばあれは明らかに5分間の出来事だった。

大きな病院で遠くからも発見することは出来たが実際の距離感覚は既に失われており、歩けども歩けども病院には着かないような気がした。
病院に着き、窓口で診察可能か訪ね、何やら色々なことを記入する紙を渡されるも手が震え書くことが出来ず窓口の方に代筆を頼む。
脳神経外科の前に書類を提出し、順番を待つ。
順番を待てる状態ではなかったのだが、何故か待たされる。
血圧などを測らされる。異常な数値が出る。呼吸はさらに困難になっていき、全身が徐々に痙攣しだす。
指に、心拍数と酸素濃度が表示されるものを付けられ、袋を渡される。
看護士に順番はまだかと尋ねるも、もう少しですからと言われ待合所でさらに待つ。
これを二度ほど繰り返し、耐え凌ぐも、ついに痙攣が酷くなり、倒れそうになる寸前に看護士にもう限界だと伝える。
看護婦が、他の看護婦を呼びすぐに車椅子を持ってきた。もちろんそれに乗せられる。
誰もいない部屋に移される。看護婦がいなくなると途端に不安になり、心拍数が上がっていく。看護婦が脈を測るために手を握ってくれると安心し心拍数は下がる。レスポンスの良い体だな、と冷静に思うも、息苦しさですぐに取り乱す。
この頃には内臓が酷く痛み、全身が痙攣し、顔だけ感覚が残っていて呼吸するのと軽い返事が出来るだけの状態だった。
意識が飛ばないことを酷く恨みつつ、過呼吸のイメージがちゃんとあったが、やはり死ぬ思いをした。
死ぬ恐怖に近い。実際死んだことは無いので分からないが、それぐらいの恐怖だった。

あぁ、俺はここで終わりか、苦しいなと思った。

看護婦に車椅子を押され、医者の前にやっと通される。
病院についてからここまで1時間くらいかかったかな。実際の時間は覚えていないが。
医者は手慣れた感じで、過呼吸ですね、不安神経症です。と、あっさり言って退けた。
あぁ、やっぱり俺もか。そう思った。
医者の気楽さを見ていたり、医者が目の前にいる安心感から徐々に呼吸が整いだし、医者のもう大丈夫だね、の一言で何故か痙攣が解けていく。診察室から車椅子で私を運ぼうとする看護婦を医者が止め、もう歩けるでしょ?の一言何故か歩けた。

あれは魔法だな。魔法を作り出しているのは私だ。思い込むってのは魔法だ。

会計を済ませ、安定剤を貰い、飲む。気分が徐々に楽になっていく。キマッてきたわけだ。
たまたま東京にいた弟を呼び出しておいたので、待合室で弟を待つ。
待合室に弟が着き、荷物を取りに友人宅へ。
弟も似たような症状を経験しているので、寛容だった。
弟の運転する車で、実家へと護送。薬のおかげで寝ていたので、道中はあまり覚えていない。
ただ、車の窓が閉まっているのがとても苦痛で、常に少しだけ窓を開けていた。

その後3週間、時々発作に教われるも、薬を飲むことでカバー出来たが家から出ることは無かった。
それと、外食が出来なくなってしまった。外食しようと店に入るもすぐに出たくなってしまうことが判明した。

HDの崩壊はPCの崩壊を招き、俺自身の崩壊をも招く。

4週間目に認知するため、東京を打開するために東京に行くことにした。原因は東京ではないことを確かめに。
やはり、緊張するのか、道中の高速道路で一波きたが、薬を飲んでいたので、打開することが出来た。
小田急線にて限界を感じ、飲薬。これが一番酷かった。
それから、急な仕事で大阪に行くことになっていたので、車を運転して大阪へ。
途中一波に会い、運転を代わってもらい、発作が収まった頃にまた交代して無事大阪到着。
寝むることが出来ず、40時間近く起き続け、また東京へ。
大阪にいた20時間の間は楽しく旧友と過ごせたのであまり発作は起きなかったが、完全に躁病と薬のおかげでした。ほんとうにありがとうございます。
東京へ帰る道中は最初3時間ほど寝てその後運転を代わり無事東京に到着。
東京では、電車に乗らず、ほぼ自転車で移動。余裕です。

最後に電車に乗ってみたが、まぁ、問題はなさそうだった。薬のおかげかもしれないが。
帰りのバスも問題は無く、その後実家に帰ってからはあまり発作に教われていない。
昨日は、飲み屋にリベンジを果たせたので症状は良くなってきている。
まぁ、良くならないと問題ありなのだが。

今は家で電子機器との共同生活を送っているが、もう少ししたら、さらに対峙するべく旅立とうと思う。

細木数子によると今年はダメらしいが来年は良いらしい。

あぁ、自己犠牲から自己保身にトランスフォームすることは望んでいたことだったな。
まぁ、願いは意外なベクトルから叶えられたわけだし、そろそろネクストステージに向かざるを得ない。

あと、予定が大いに狂っているが、想定の範囲内であるわけで、主軸は逸れていない。

まとめとして要約
大阪→実家→愛犬死ぬ→上京→精神崩壊→肉体撃沈→ジャンキー→躁→鬱→躁→鬱→以下略→PC崩壊→上京→大阪→上京→実家→PS3崩壊→現在

まぁ、精神がぶっ飛んでも肉体は生きているもんですね。その逆も在りえるかもしれないと日々思い、紅葉の季節は見頃を迎えました。



ちぇけら
posted by Mastervie at 17:29| Comment(2) | 徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
一時代を築いたスタービーチは閉鎖になりましたが、もう一度楽しい思いをしたい、もう一度出会いたいと思う有志により再度復活しました。本家以上に簡単に出会えて楽しい思いを約束します!http://newstar.lsjcy.net/
Posted by 新生スタービーチ at 2010年01月05日 14:57
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Posted by 女子高生 at 2010年01月08日 14:29
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